名古屋市千種区の城山八幡宮(しろやまはちまんぐう)
織田信行が白山比咩神社を勧請して以来末森城址にあった白山社、 末森村内の浅間社、山神社、一ノ御前社を明治41年に合祀しました。 そこで、名古屋市教育委員会の立て札によると 「末森城跡」 天文17年(1548)織田信秀はこの地に城を築き、古渡城から移った。 守山城を守る弟信光と連携して、三河の今川方に対する備えのためであった。 翌年、信秀はこの城で病死し、三男信行が城主となった。 その後、信行は兄信長と対立し、稲生原の合戦を起こして敗れ、 永禄元年(1558)清洲城で謀殺された。城は翌年廃城となったといわれる。 と、解説は置いときまして、地下鉄東山線の広小路通から少し住宅街に入ると 最初の鳥居が見えてきました。 そこから階段を上がっていくと二の鳥居と空堀にかかる反橋があります。 さらに階段を上がると 三の鳥居(suntory)です♪ そこから左を見ると、アッと驚くためごろ・・・・・・(やめた) なんと、神社や城址に似合わない建物の登場です! 昭和3年、八幡宮より境内を借り受けた愛知県が建設した「昭和塾堂」。 当時、青年会の活動が各地で盛んとなったことから、 愛知県がその教化の中心となる精神修養の場として建てたそうです。 現在は、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されてます。 駐車場の境内を進むと1枚目の本堂に到着です。 本堂から左に小道を進むと、お題にあげた連理木があります。 昨日、紹介した「恋の三社めぐり」のひとつで「れんりぼく」と読みます。 自生のアベマキが古くなったもので、幹周り4m、根回り4m70cm、樹高15m、 名古屋市内最大のアベマキです。 地上約3mの所から二幹に分かれ、6m程で再び合一して連理となり、 そこから上にも枝を出しています。 このような連理木は、古来より吉兆とされ、 夫婦円満、縁結びの御神木として信仰されています。 なお、「恋の三社めぐり」の残りのひとつは 山田天満宮(御嶽神社)のよりそい石 今回、行けませんでしたので次回見てきますね^^
by hikarigraphy
| 2014-01-28 20:29
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